ついこの間、長野で残忍な通り魔殺人事件が起きた。
こういう事件の後には100%「犯人は死刑だ!!」、
「たとえ死刑になっても遺族の悲しみは消えない」という声が上がる。
俺は死刑には反対だが、そういう気持ちは分かるし、
犯人が如何にして罪を償おうと、
被害者の無念、遺族の悲しみ、怒りは決して消す事は出来ないだろうとも思う。
車の暴走で母子が亡くなった池袋の事故の時も、
犯人がたとえ死刑になっても遺族の悲しみは消えないのだという声が上がった。
容疑者は旧通産省官僚で、
叙勲もされていた上級国民だから刑が軽いのか、という批判もあった。
中居正広の起こした事件についても世間の反応は概ね厳しい。
「既に慰謝料を払い、示談が成立してるのだから…」と言う擁護の声にも、
金を払ったとしても被害者の心の傷は一生言えるものではない!!と批判の声が向けられた。
事に及んだ後に、何事も無かったかのように仕事を続けていた中居正広本人の姿勢、
彼を使い続けたフジテレビに対しても厳しい批判が投げかけられている。
日本人は、こんな風に、
人が犯した罪の重さを被害者や遺族の心に照らして考える事が出来るし、
その処罰に関しても、多くの人が重いものを望む。
更には中居に対しての様に、償った後の本人の生き方にも厳しい目を向ける傾向にある。
ところが…、だ。
そんな日本人が、過去の日帝皇軍が犯した蛮行に対しては、
不思議とこういう考え方が出来ない。
被害者とその家族、遺族の無念や悲しみ、怒りに照らして、
天皇、大日本帝国、その軍隊が犯した蛮行の罪の重さを考えようとしない。
「賠償金を払ったのだから既に解決済みw」と嘯き、
「首相や政府要人が何度も謝罪しているのに、いつまでもうるさい」、
という態度を多くの日本人がとり続けて来た。
敗戦後から今にかけても、戦前戦中と同様に、
隣国を始めアジア各国の人々を差別し蔑視し続ける生き方を改めようとはしない。
殺人犯や性加害者に対して向ける目、
その被害者に対して持つ事か出来る思いやりや、悲しみ、苦しみ、悔しさ、怒りの共感、
犯罪を犯した人のその後の生き方を批判する姿勢。
これらのものが、過去の日本が犯した加害とその被害者、敗戦後の日本に対してとなると、
そっくり抜け落ちてしまい、正反対の態度をとるのだ。
何故か。
それは天皇カルト教に後押しされた強烈な選民意識と植民地主義思想が
日本人の心から一掃されていないからに他ならない。
「敗戦」という正に「好機」に、政府も国民も、何が日本を破綻に至らしめたのか、
戦前から敗戦までの総括を全くしてこなかった。
国民自らの手で加害の最高責任者である天皇裕仁を断罪し、
日本をアジア侵略と戦争遂行に駆り立てた政治家、軍人を引きずり出し、
法の前で裁く事を全くしてこなかった。
同時に国民一人一人が国家の犯罪に加担した事実に向き合う事も避けて来た。
その結果として、
敗戦後も選民意識と植民地宗主国根性が潜在意識として残り、
その二つが相俟ってアジア諸国を見下す病に罹患したままになってしまった。
アジア諸国の人を人とは思わない、人権を軽んじる病が完治していないから、
加害した側が絶対に言ってはいけない
「謝ったのだから…」
「金を払ったんだから…」と言う言葉を
平然と吐きながら開き直れるし、
戦前戦中同様の差別・蔑視思想を改めることなく生きることができるのである。
—–中居正広の熱烈なファンにも同じ言葉を吐く人がいるが、
それは被害者の人権を軽んじているからに他ならず、
そういう意味では植民地宗主国根性と通底している—–
多くの日本人が大日本帝国を客観視する事が出来ない事も、
加害の史実に向き合えない原因の一つだろう。
敗戦後に民主主義のメッキを施した、地金は大日本帝国のままの日本社会で、
似非民主主義を身につけただけの日本人は、
国家と自分を同一視する国家主義に簡単にからめとられてしまった。
それがために、過去から現代までを通して日本が悪く見られることは耐えがたいし、
自ら自分の恥部をさらけ出す「自虐」は断じて演じたくない。
そう言った心理によって濁り切ってしまった目では、
日帝の悍ましい戦争犯罪を直視することはできない。
しかし何よりも、一人一人の心の中にある既に醸成されしまった感のある潜在的選民思想、
植民地主義思想、宗主国根性をなんとしてでも一掃し、
アジア諸国の人達を差別・蔑視する心性を完全に無くしてしまわない限りは、
日本人は今後も、かつて日本が行った蛮行を蛮行として認める事が出来ないだろう。
罪を罪として認める事が出来ないならば、
被害者とその遺族の無念や悲しみ、怒りに照らして
日本が犯した加害の罪のとてつもない重さを感じる事も出来ないし、
そうであるならば、今後も自らの生き方を変える事が出来ないだろう。
アジア諸国に今生きる多くの人達は、
かつての日本の植民地支配や侵略戦争で奪われ、犯され、焼かれ、殺され、
謝罪されても賠償金を支払われても癒えないほど、
心に大きく深く消えない傷を刻まれた被害者とその家族、遺族である。
何十億と言うその人達の目が、日本の日本人の「生き様」に向けられている。
真にアジア諸国との友好関係を築き、その平和と安寧を願うのであれば、
日本人は今のままの「盗人猛々しい」態度でいていいはずがない。