夭折の天才は何故かラッパ吹き

1940年前後のアメリカ。
スイングジャズに音楽的限界を感じ始めていた若い演奏家達がいた。
天才アルトサックス奏者チャーリー・パーカーもその一人であった。
やがて彼はBebopと呼ばれる形式のジャズを生み出すのだが、
その手法を彼よりもさらに若い演奏家が次々と踏襲し始めた。
所謂「モダンジャズ」時代の到来である。

トランぺッターのファッツ・ナバロも新時代の音楽家だった。
結核と麻薬常習癖のために26歳と言う若さで亡くなったが、
その短い活動期間に後に名声を得る演奏家に多大な影響を与えた。
 

その一人がクリフォード・ブラウンであり、
もう一人が、日本では「ザ・サイド・ワインダー」でお馴染みのリー・モーガンだ。
酒も麻薬もやらなかったクリフォード・ブラウンは、
その艶やかな音色と華麗な技術力から「ファッツ・ナバロ」の再来と呼ばれ、
録音に、生演奏にと、ナバロを凌ぐ活躍をしたが、25歳で自動車事故のために死去。

ブラウンより8年遅い1938年に生まれたリー・モーガンは、
そのブラウンの再来とも呼ばれ、18歳からD・ガレスピー楽団で活躍。
その後もジャズ・メッセンジャーズに参加するほか、
リーダーとして、また共演者として多方面で仕事をしたが、
33歳の時に内縁の妻によって射殺されている。

最も若くして亡くなったのは、リー・モーガンと同じ年に生まれたブッカー・リトルだ。
1938年の今日、4月2日に生まれた。
そして享年は、なんと23歳。

音楽一家に生まれた彼は、幼い頃から音楽に親しみ、
早い時期から音楽教育を受けて育った。
十代半ばからプロと共演を始め、シカゴ音楽院では理論や作曲を学ぶ。

1955年に名ドラマーのマックス・ローチと出会い、その後彼のバンドに加入。
親友でもあり共演者だったクリフォード・ブラウンを亡くした後で、
精神的に辛い時期にあったマックス・ローチは、
ブッカー・リトルに出会って救われたとも言われている。

マックス・ローチ(手前)とブッカー・リトル

しかし何の因果か、このリトルもまた23歳と言う若さで亡くなってしまう。
死因は尿毒症による合併症だったと言う。
これからという23歳で…。
しかし彼は、わずか3年程の活動期間の間に、とても多くの名演と名曲を残した。

時期的にジャズ界の最先端はフリージャズを模索し始めてい頃であった。
若きリトルも、エリック・ドルフィーからの刺激を受けて、
ビバップの音楽言語からより高く飛翔し、「自分の言葉」を探していたことが、
1958年の初リーダー作を聞けばよく分かる。

彼自身もこう語っている。
私は特に不協和音の可能性に興味がある。
不協和音の存在によって音楽の陰影がより多彩になる。
不協和音は、多彩な表現を実現するためのツールなんだ。

しかし20歳でこの成熟ぶりには驚かされる。天才の天才たる所以。

ここで紹介した夭折の天才は、奇しくも全員がトランぺッターである。
その事と寿命の短さは関係はないだろうけれど、
時に彼らの音色から感じさせられるあの哀愁と
どことなく重なってしまう部分ではある。

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