日本の中の差別

あらゆる差別に抗って行動している政治家だと思っていた人が、
日本国籍の在日コリアンの参院選出馬に関する身の振り方を批判して、
差別的だと受け取れるツイートを投稿してしまった。
その後、すぐに自らの過ちに気が付いて、丁寧に謝罪しツイートは削除された。

つぶやいた本人はそれが差別的だとは考えていなかったのだろう。
でも、「被差別者であるあなたの為に色々してあげたのに…」
という言葉が行間から感じとれた。
この人に限らずほとんどの日本人てのは、
被差別者に対してはどこか「やってあげてる感」があると思う。

何しろ今の日本は戦前の植民地主義や宗主国的思想、家父長制、優生思想等々、
日帝的なものをほぼそのまま引き継いでる訳だからね。
幼児期からのそんなものの刷り込みが影響しているのだろう。
心の奥底に差別が染みついてしまっている。

「反差別」とは言いながら、
日本国籍で、健常者で、シスジェンダーであれば、
「多数派の優越感に浸りながらの善行」が、
日本人の反差別の基本になっている様に見える。

それに加えて、「被差別者は弁えなさい」思想も並行して存在する。
既に被差別者として相当の人権を奪われている立場なのに、
有して当然の権利を主張すると、「甘えるな」「努力が足りない」「特権だ」と攻撃される。
そもそも障害者の親にしてからが、

「可愛がられる障害者に成れ」等と発言する有り様だから終わっている。

差別に抗おう、差別のない社会を目指そうではなく、
差別だらけの社会を、被差別者自身が受容する方にまわる事を選ぶと言う愚行。
正に「お上」に逆らわない臣民そのもの。
うんざりである。

話しは変って…
開業150周年を迎える北海道のデパートに設置された懸垂幕。
アイヌ民族の文様の下に「これからも北海道にフロンティアを」の文言。

どういう意味で「フロンティア」を使っているのかと、
社長のインタビュー記事を読んだら、明らかに「(北海道)開拓」の意味であった。

先住民が暮らしていた土地を抵抗なく「開拓」した等と言えるのは、
この懸垂幕の設置を止めなかった周囲の人間も含めて、
侵略者魂、植民地主義が染みついている証拠だろう。
懸垂幕に使用したアイヌ文様は、ただただアイヌ文化の消費になってしまっている。

斯様に差別が空気の様に存在し、被差別者に我慢や努力を強いる社会。
他民族がこんな日本や日本人に対して持つ恐怖心てというのは、
おそらく日本人である俺が日本人に対して持っている恐怖心と同じ種類だと思う。

自分が少数派で社会的弱者で臆病だから怖いと言う事ではなく、
得体の知れない協調性、
それは天皇を頂点にして存在する気味の悪い民族統合性なのだが、
それに協調しない人達に、塊となって襲いかかる日本人の悪魔性が怖いのだ。

拗らせると悪魔性にもなる、身に沁み込んだ差別性を無くすためには、
やはり学ぶことが最も重要だろう。
民族差別や性差別、障害者差別の根っこにあるのかなんなのか。
それを知る事によって、自分の中の差別性と向き合う事が出来るはずだ。

面倒な作業ではあるけれど、それをしない限りは、日本から差別が消える事は無い。
社会に変革を求める前に、まずは自分自身が変わって行けばいいのだ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする