息子を失いかけまして…

実は我が家の息子氏が…

それは7月21日の事だった。
連れ合いさんと二人で、家から車で峠を越えて三十数分の所にある街場に買い出しに出た。
買物も終わり、駐車場で車に乗ると息子氏から電話。
おっ、珍しいな。何か買ってきて欲しい物でもあるのかな? と電話に出ると…

「父さん、腹痛い…」と言う、普段冷静な彼にしては切羽詰まった感じの声。
状態を聞くと、風呂に入って上がって、いつものように水分補給してたら、
突然腹が痛みだして、それもかなり酷い痛みらしい。
買物中で気付かなかったが、俺の前に連れ合いさんの方にも2回着信があった。
相当痛かったんだろう。

トイレに行ってもガスしか出ず、一向に止まない腹痛。
でもねぇ、あ、これもしかして…と、思い当たる節があったんだよね。
過去に二度、同じように酷い腹痛を訴えて、慌てて病院に行ったら、
長らく待たされて検査した結果、どちらも「小腸の軽い炎症」で、
2時間ほどかけて点滴して、あっさり帰された事があった。

さて、俺達が買物から戻ると息子氏は床の上に伸びて顔を歪めていた。
あぁ、これはあの小腸の時と同じ感じかなぁと、息子氏に聞くと、
「そうかもしれない」との応え。

それと腹痛でもう一つ思い当たるのは、
畑仕事の時にズボンのポケットに保冷剤を入れてた事。
これで腹を冷やしてしまったんじゃないか。
まぁとにかく、今はCOVID-19蔓延中なので気軽に病院にも行けないし、
腹を温めながら様子を見ようと言う事にした。

翌日、どうやら腹痛であまり寝られなかった様子の息子氏。
しかし昨日に比べて酷くなっている感じもしない。
食事はお粥のままで、飲む物も夏だけどぬるいものにして、
その日は朝からずっと安静にしていた。
が、夕方に悪寒と発熱。

軽い吐き気もある様で、ちょっと心配になるも、
以前の小腸炎の時もそうだったので、安静を保つ。
結局その日も痛みは引かず、悪化している感じさえし出した。

ほとんど寝られなかった感じの翌朝早く、あまりに苦しそうなので、
これは小腸炎とは違いそうだとネットで色々と調べる。
悪い予想は昨日からあったが、やはり打ち消していた急性盲腸炎、腹膜炎に該当する。
そして7時時過ぎ、これはヤバそうだと救急車を呼んだ。

COVID-19指定病院に行く不安と、過去二度の小腸炎の経験から、
腹痛ですぐさま病院へ駆けつける事をためらってしまったのが裏目に出過ぎた。
検査の結果は悪い予想通り急性盲腸炎と腹膜炎。
しかも盲腸が破れて便が腹腔内に漏れ出ていて、敗血症の危険性もあるとの事。

即刻入院となり、救急処置の後に全身麻酔での手術。
COVID-19があるために、家族と言えども病院にはいられず、帰宅して結果を待つ。
幸いな事に体力と強い免疫力があって敗血症にも罹らず、手術は成功。
70代以上だったら亡くなっていたかもしれないとの担当医談。
10日間の入院で無事退院する事が出来た。

手術が無事に終わっても気がかりだったのは、
COVID-19の院内感染と、毎日3度の食事の内容だった。
COVID-19の方は、隔離が徹底していて心配無し。

食べ物は、米は北海道産だったが、怖いのは魚介類。
原発事故後は日頃から息子氏と野菜や魚介の産地の話はしていたし、
入院してからのメールのやりとりで注意事項の確認もしていたが、
何より息子氏自身が神経質に吟味していたらしく、
退院時にはゲッソリとやつれた姿で目の前に現れた。

聞くと、ほとんど毎食、ご飯と大丈夫そうな味噌汁、納豆位しか食ってなかったらしい。
家に帰ったら沢山食べさせてやりたかったけど、
内視鏡手術とは言え何しろ腹を切ったあとだから、無闇には食べさせらない。
慌てず時間をかけて回復させるようにした。
元に戻るまで、1ヶ月ちょっとかかったかな。

乳幼児期から重症の癲癇発作が頻発し、
何度も入退院を繰り返しながら、なんとか無事に成人し、
たくましく育ってくれた大事な息子氏を、危うく亡くしてしまうところだった。
電話で手術成功の報を貰った時は、安堵と息子氏への済まない気持から泣いてしまった。

5歳位までは何度も何度も救急車にお世話になり、
医師や看護師の緊急処置を受けて、幾度もの入院生活を経験したけど、
今回ほど救急隊員や医師、看護師さんに感謝の気持ちを持ったことは無かった。
こちらの判断ミスで最悪の事態に至るところを救ってもらえたんだから。
本当に有難うございました。

俺自身ショックが強すぎて、こうして振り返って書くまでに
8か月もかかってしまったよ。
今後は、何か強めの異変があったら、早目に病院に行く事にする。

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