敗戦後の態度に見る日本とドイツの大き過ぎる違い

2007年に初版本が出ている「ドイツは過去とどう向き合ってきたか/熊谷徹(高文研)」
から、以下に少し抜き書きしてみる。
日本の戦後から今までの、
日帝の加害に苦しんだ被害者側への態度のあまりの違いに驚くはずだ。

抜き書きここから。

ルクセンブルグ合意は、ドイツの賠償行為の氷山の一角にすぎない。
ドイツ政府は、1956年6月29日に「ナチスに迫害された被害者の賠償に関する連邦法」を制定した。
連邦賠償法とも呼ばれるこの法律は、ナチス犯罪賠償制度の根幹である。

具体的には、ナチス政権下で、民族、宗教、国籍、政治的信条などを理由に、
健康被害、自由の制限、拘束、経済的もしくは職業上の不利益、財産権の侵害などの被害を受けた人々に
賠償金を支払う。

この法律の特徴は被害者の対象を広くしていることだ。
たとえば、ナチスによって創作活動を妨害された芸術家や、
ユダヤ人と親しかったために迫害された人々にまで賠償請求権を認めている。

連邦財務省によると、1987年までの31年間に、
被害者がこの法律に基づいて行った賠償請求は
438万4138件にのぼる。
支払いを受けた被害者の40%がイスラエル、20%がドイツに住んでいた。
2002年末までに、430億7900万ユーロ(約6兆5685億円)が支払われた。

ナチスによって差別を受けた市民の権利と名誉を回復する法律も施行された。
ユダヤ人だったために非人道的な扱いを受けた捕虜、
祖先にユダヤ人がいたと言う理由で迫害された人々も損害賠償を受けた。


ドイツの賠償制度の特徴は、支払い対象が徐々に拡大されて来たと言う事である。
たとえば1979年にドイツ連邦議会は、強制収容所に入れらて健康を害したが、
賠償の請求制限を守る事ができなかったり、居住地域の制限などのために
支払いを受けられなかったりしたユダヤ人にも損害賠償を行なうことを決めた。

人体実験や強制断種の被害者、収容所に入れられた同性愛者やシンティ、ロマ、

ナチスの人民裁判所から不当な判決を受けた人々も、賠償金を受け取っている。

以上述べてきたような包括的な損害賠償とは別に、西ドイツ政府は、
1959年から今日までに、欧州の15か国及びアメリカとの間に二国間協定を結び、
連邦賠償法の対象とならなかった被害者に対しても賠償を行ってきた。
ナチスによる被害を受けたのは、ユダヤ人だけではないからである。

さらに冷戦が終わった1990年代には、ドイツ政府が主導する形で、企業とともに基金を設立し、
戦争中にドイツ企業のために強制労働させられた被害者らに対して、賠償金の支払いを始めた。

ドイツは支払いを始めてから50年間で日本円にして約10兆円を支払い、
さらに被害者が生きている間は賠償金の支払いは続くとしている。
そして今も尚、経済成長で得た国富や労働者が納めた税金の一部を賠償に回し続けている。

ドイツ政府はカネによっての償いは不可能だと認めつつも、
迫害によって健康被害を受けたりトラウマを負った人たちに対して、
経済支援を通して謝罪し、生活の負担を軽くしようとしている。

したがって、ドイツ政府も金銭による賠償についてはあまり対外的に強調しない。

むしろこの国が過去と対決し、被害者たちからの信用を回復しようとする中で重視しているのは、
政治家の態度、教育、司法など、非金銭的な面である様に思われる。

抜き書きここまで。

日本が今まで被害国、被害者相手にどういう態度をとって来たかはご存知の通り。
敗戦後すぐから盗人猛々しかったし、今もそのままである。
このままでは被害国と本当に良好な関係は築けないし、
そうなれば小国日本はアジアで、世界で孤立。
このまま凋落を続け、滅びるしかない。

※シンティ、ロマ:欧州でジプシーと言う蔑称を与えられ、
中世以降差別されてきた流浪の民。

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