キムチの師匠

2003年の7月の事だった。
その頃我が家は、函館の中島廉売と言う、戦後に開かれた市場の近くにあって、
日々の買い物は中島廉売が中心だった。

その廉売通りのはずれの方の空き店舗だった建物に、
ある日「本場キムチ・金三商店」というデカい看板を発見。
こんな店は無かったなぁと中を覗くも、人の気配なし。
その後も時々通りがかりに中を覗くと、少しずつ店内の様子が華やかになっていた。

俺はその頃、韓国語を独学で学び始めて数か月経っていたので、
ネイティブと話してみたくて仕方が無かった。
だからもうその店が気になって気になって仕方なかったのよね。

そして7月14日。
散歩がてら、学校帰りの息子と落ちあって帰る道で、またキムチ屋の中を覗いたら、
なんと、初めて人がいるところに遭遇。

二人の女性がこちらに背を向けて、冷麺をすすっていた。
これはチャンス!!と戸を開け、
日本人かも知れないのでまずは「オープンはいつですか?」と聞いてみた。
すると「ナナガツ チュウナナニチ」とたどたどしい日本語。

で、7月17日から頻繁にキムチその他韓国食品を買いに行くようになり、
我が家の知り合いだった韓国人留学生がそこのオモニと知り合いだと知って、
オモニとの距離がグッと縮まって、4か月後にはお店のホームページを作る様になったり。

この写真はホームページ様に撮ったもの。

韓国語の勉強がてら足しげく通うようになったある日、
俺より9歳しか年上でない人を「オモニ」とか「アジュンマ」って呼ぶことが気になって、
「ヌナ(姉さん)と呼んでもいいですか?」って聞いてみた。
そしたら「あ~、それでいいですよ」って。

そして息子には「今度から私をコモ(伯母さん・男親の姉)と呼びなさい」と、
すっかり家族みたいに扱ってくれるようになってさぁ。
4か月で「ウリ」の内側に少し入れた気持ちになったものだった。

それから1年後の2004年には、我が家は道北に引っ越して、
新天地でガソリンスタンド兼食品雑貨屋をやることになった。
涙なみだのお別れをしながら、
「姉さんのキムチを売りたいから送ってね」と言うと、
「漬け方を教えるから、自分で作って売りなさい」という。

私から仕入れて売るより、自分で作った方が利益が多いでしょうと、
普通に考えたら「門外不出」であるはずのキムチの漬け方を教えてくれるなんて!!
そこまで家族みたいに思っててくれてたんだなぁと、またまた涙。

姉さんと呼んでいた金福蓮さんが故郷の釜山に戻る事になったと聞いたのは、
我が家が8月に引っ越して店を始めて少し落ち着いた翌2005年の事。
いつか函館に行ってキムチの漬け方を習おうと思っていた俺は焦った。
4月末には帰国すると言うので、その前に習わなくては!!

というわけで、2泊3日の予定で2005年の4月15日に函館入り。
翌16日に朝からキムチ漬けの修行をさせてもらったのだった。

根本にはしっかりヤンニョムを入れなさい!!

姉さんから学べるのは、その日1日しかない。
白菜の洗い方から塩漬け、ヤンニョム作り、本漬けと、
函館で料理教室もやっていた姉さんの厳しくも優しい指導で、
夕方までには一通りの作業を伝授してもらえた。

「美味しくなぁれって祈りながらヤンニョムを塗るのよ」

何しろ1日と言うか、実際には半日程度しか無いから、
その中で伝えられるようにと、姉さんは相当な準備をしてくれていたし、
言葉の面で不便だろうと、
懇意にしてくれていた韓国人留学生のMちゃんが通訳担当として、
なんとバイトを休んでまで来てくれたのが本当に有難かった。

左:次は何をしようかと考える姉さん。
中:指導内容を自分なりにメモる連れ合いさん。
右:かなり細かくメモってくれたMちゃん。

姉さんが俺に伝えたい事を完璧に理解できるのはMちゃんしかいなくて、
彼女自身も料理が出来る人だったので、
実に分かり易く細かくメモをとってくれて、それが我が家の家宝にもなっている。
姉さんとここまで家族みたいになれたのは、Mちゃんの力添えが本当に大きかった。


キムチ漬けを伝えてくれた後に姉さんは、
これも作って売りなさいと、岩海苔の佃煮のレシピも教えてくれた。
更にはキムチ漬けに使う道具も持って行きなさいと、

自分の愛用の調理道具を一式俺に持たせてくれたのだった。


朝9時から夜6時過ぎまでの時間を俺達に提供してくれた姉さんとMちゃんには
いくら感謝してもしきれないなぁ。

その後、姉さんから伝授されたキムチは道北の我が家で作られることになり、
店を閉めるまでは通販で販売もしたり。。。

今はもう店はやめてしまったけど、キムチ作りだけはしっかり続けてますよ~。
去年Mちゃんにキムチを送って食べてもらったら、
「しっかり姉さんの味を守っていますね」とお墨付きを貰えた。

先に逝った姉さんには、是非味見してもらいたかったけど、
食べたらきっと「マシッソ!! ケンチャナ!!」って言ってくれたはず。
俺はこれからも姉さんがくれた道具を使って、
姉さんの教えを守りながら、キムチ作りを続けていきますよ(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)

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