A Change Is Gonna Come

Father of Modern Soul Music
Magic Voice
King of Soul…
と様々な称賛の声がある一方で、
白人社会からは「シナトラもどき」と揶揄された人物。
しかし彼はシナトラの様にただの人気ポピュラー歌手でいることに満足できなかった。

Sam Cooke
彼は1931年1月22日、アメリカ南部のミシシッピ州クラークスデールで牧師の息子として産まれた。
曾祖母は奴隷。父は虐げられた暮らしから逃れるために教会を建て、牧師になった。
差別が激しい南部では、子達の成長に悪影響があるからと、その後シカゴに移住。
やがてサムは父の教会の聖歌隊で歌いだし、
十代でゴスペルグループのリードシンガーとなる。

教会の世界では、ゴスペルは神の歌、R&B等は悪魔の歌だという偏見があったが、
成長とともにサムは歌いたい歌を歌う生き方を選択。
プロの流行歌手となり旅回りを始める。
しかし彼は南部で、シカゴでは体験したことのない差別に出会う。
アメリカには曾祖母の時代と変わらない
アフロアメリカンに対する謂れなき偏見と激しい差別がある事を知ったのだ。

彼はただの人気歌手、流行歌手ではいられなくなってしまったんだね。



ウッ、ハッ、ウッ、ハッ
声が聞こえる
ウッ、ハッ、ウッ、ハッ

知らないのか?
それは男たちの声だ
鎖に繋がれた男たち
それが男たちの声だ
鎖に繋がれた男たち

一日中、日が暮れるまで懸命に働いている
ハイウエイや脇道でしかめっ面で働く
彼らが命を削りながら呻く声が聞こえる

1960年発売のサムの”Chain Gang”という曲の歌詞の一部だ。
服役中の囚人達の作業の様子を描いた詩の様だが、
実は過酷な奴隷労働を歌っているようでもある。
アフロアメリカンが社会問題を取り上げるのを、
アメリカの一部の白人達は最も嫌うが、サムはそれをやり始めた。

時は公民権運動がアメリカ全土に広がりを見せていた頃である。
所謂「ブラック・パワー」の初期の段階ともいえる時代。
サムは黒人解放運動指導者のマルコムXや、
解放運動に関心が高いボクサーのモハメッド・アリとも友好を深め、
差別と偏見が蔓延する社会へのアフロアメリカン社会の抵抗力を強めようと試みる。

同じ頃、ボブ・ディランは歌っていた。

山が海に流されるまでに
何年存在できるのだろう?
人は自由を得られるまでに
何年生きられるだろう
何人の人が死ねば
死者が多すぎたと分かるのだろうか
答えは風に吹かれている

「風に吹かれて」。
ディランがアメリカ各地で目の当たりにした肌の色による分断、
つまりアフロアメリカン差別の問題を取り上げた歌である。
デュランは後にキング牧師の集会でも歌うようになる。

この歌詞に衝撃を受けたはサムは、奔放なR&Bのノリで歌い上げる。
白人社会は、アフロアメリカンによる白人の曲の単なるカバーと受け取ったかもしれない。
しかしサム自身は、ボブ・ディランと言う白人による社会変革の訴えに感銘を受けながら、
アフロアメリカン自らの訴えの必要性を強く感じた。
そして誕生したのがこの曲であった。

【A Change Is Gonna Come】
もう耐えられないと思ったこともあった
でも今は耐えられるだろうう
時間はかかってしまったが
今度こそ変化は必ずやって来る

1963年のあるインタビューで、サムはこう答えている。
歌手は歳とともに考えが深くなっていく。
自分が何を言いたいのかを自分で理解できるようになる。
今、世界で何が起こっているのかを知れば、
曲の「物語」を人々によりよく伝えられるようになるだろう。

黒人解放運動の核心を音楽的に体現した曲の完成。
白人社会からの強い反発が予想されたがそれを恐れず毅然としていたサム。
しかしサムの「大衆を導く資質」や影響力を脅威に感じる権力側の人間は少なくなかった。

1964年12月11日。
サムはロスアンゼルス中南部のモーテルで不審な死を遂げる。
サムに襲われたと言う女性の正当防衛による銃撃での死とされた。

トップスターがアメリカの場末のモーテルで半裸状態で射殺?
モーテルで女性を求めて暴れた?
サムをよく知る人たちにしてみたら到底信じられない出来事であった。

捜査は簡単に打ち切られた。
これがシナトラ、ビートルズ、、リッキー・ネルソンならFBIが捜査しているだろう
と、怒りを隠さなかったのはモハメッド・アリ。

マスコミはその死に方だけを衝撃的に扱い、故人の存在の重要性は無視。
白人の間では、「いつもの」一人の「黒人」が死んだだけの事件に過ぎないものとされた。
しかしアフロアメリカン社会は、サムの死の重要性を知っていた。

アフリカ社会学のニール教授はサムの死を、
二重の殺人だ。
サム・クックと言う物理的存在の殺人であると同時に、
彼の伝説をも殺してしまった。
と語る。

こころざし半ばで「消された」サムではあったが、彼の意志は生き続け、
アフロアメリカンは少しずつ人権を手にし始めた。

が…、
“A Change Is Gonna Come”が、
彼の死後から長い年月を経て

まだこれほどまでに重要であるべきなのは
この国の恥である。
と言ったのは、コラムニストのレネ・グラハム。

確かにアメリカ社会の中のアフロアメリカン差別は根深い。
サムの意思はアメリカの恥部をも照らし出す。
しかし俺は、「アメリカは酷い国だ」では終われない。

“A Change Is Gonna Come”が重要なのは、
アメリカよりもむしろ日本なのだと、
サム・クックの93回目の誕生日に激しく思う。

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