自分らしさ

A.O.Rって言葉があった。音楽用語だ。
1980年頃の話。
音としては、売れたところではボズ・スキャッグスとか、
ボビー・コールドウェルみたいな感じ。

ロック歌手になりたくて東京に行った友人から、
当時のスタジオミュージシャンの間で話題のA.O.R歌手情報が入って来たが、
そっちはビル・チャンプリンやら、マーク・ジョーダンという
それまで聞いたことのない名前。


その友人が送ってくれたテープを聞いて驚いたのは、
彼らのアルバムに参加しているギタリストの腕前と音楽性だった。
名前はジェイ・グレイドン。
当時のアメリカでは超売れっ子のスタジオミュージシャンで、
自身はデビッド・フォスターと言う鍵盤奏者と「エアプレイ」というバンドを組んでいた。

この二人は音楽家兼プロデューサーだったから、
まぁ似たような感じの音楽が巷には氾濫し出したよね。
パクリ好きの日本でも後を追うようにエアプレイ風の音が流行り出した。
ちょっと思い出しただけでも松山千春の「長い夜」だとか、
松田聖子の「夏の扉」なんかのイントロ、曲中でのギターの使い方、間奏なんかは、
もう完全にジェイ・グレイドンの真似。

日本でそういう音を出していた代表格が、
故・松原正樹や今剛という二人のギタリスト。
当時は歌謡曲からロック、ポップスに至るまで、
声がかかりまくりの人気スタジオミュージシャンだった。

制作側から求められて、真似た音を作っていた彼らだが、
音楽家だもの、やっぱり自分らしい音楽をやりたいよね。
だから”PARACHUTE”というバンドも組んでいたし、
ソロアルバムも発表したりしていた。

聞いてみると、しっかり考えられた緻密な、
当時の最先端を行っている格好いい音作りをしてはいるんだけど、
でもやっぱりどこか何かの「真似」であって、
強烈な「個性」と言うものが感じられないんだよね。

例えばアフロアメリカンのBLUESと言う音楽を考えてみる。
基本は12小節で、出て来るコードは3つのみ。
表現者に個性が無ければ、どれも同じに聞こえてしまうだろうが、
全然そうなっていないのは、表現者一人一人が個性的だからだろう。

ブルース・マンの故ジョニー・ウィンター。
彼はギターも歌も物凄く個性的だ。
最初は先達の物真似から始まったんだろうけど、
最終的に出来上がった形はジョニー・ウィンターそのものなのだ。
少し聞いただけで「彼だ」と分かるギターと歌。

今、渡辺貞夫氏の「ぼく自身のためのジャズ」と言う本を再読中なのだが、
氏も、日本のジャズ音楽家に個性が無いことを嘆いていた。
アメリカの真似ばかりして、思い切り自分を表現していないと。
そして、それ以前に「心棒」のようなものが無いとも書いていた。
この本が出たのは1985年のことだが、事情は今も大した変わっていないと思う。

音楽とは君自身の経験であり
君の思想であり
君の知恵なのだ
もし君がまことの生活を送らなければ
君の楽器は
真実の響きを持たないであろう

モダンジャズの父、チャーリー・パーカーの言葉である。

日本人も生きていれば他国人と変わらずに様々な経験は積める。
問題は、それを自分の思想なり、知恵に昇華できるかどうかではないか。
日本人が成長するうえで欠けているのはこの部分だろう。
経験を思想や知恵に昇華することで「心棒」も出来るし、
そこから自分らしさも生まれるのだ。

学校教育や社会に思想、知恵を重視する流れが無いのなら、
一人一人が人生経験を思想に変え、生きる為の知恵に昇華すればいい。
と、自戒を込めて考えた2月23日は、
今剛とジョニー・ウィンターの誕生日であった ( ̄∇ ̄)v


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