出鱈目ではないのです

山下洋輔が悪いんだよな。
フリージャズは好き勝手、出鱈目を楽しむ音楽だ、
みたいな事をあちこちで言っちゃうんだもの。

ジャズ、所謂「モダンジャズ」でさえ、
1,2,3で曲を始めたら、途中から楽器ごとに出鱈目をやってる、
な~んて感覚で聞いている人もいるんだから、
フリージャズは全部出鱈目じゃないかと疑われても仕方ない。
なのに演奏家当事者が「出鱈目だ」なんて言ってしまったら、
聞く側のシロートは「あぁ、やっぱり」と納得してしまうじゃないか。

音楽に関わってきた人間として基本を軽く説明させていただくと、
俺達が日々よく耳にする音楽には、
学校で習ったみたいにハ長調だのイ短調だのの調性がある。
そして曲にはコード進行があり、リズムがある。
曲の旋律はコード進行にのっとって、調性から外れない音で作られる。

ロックやジャズの場合だと、曲の中に即興演奏と言う要素が入って来て、
これがまた演奏者や聴衆にとっての醍醐味の部分でもある。
この部分を、調整から外れない様に出鱈目にやってると思ってる人もいるが、
まずそれが間違い。

即興演奏と言うのは、その場で作曲して演奏すると言う事。
つまりコード進行にのっとって、頭の中で旋律を作り、
それを声や楽器に反映させるのが「アドリブ」というやつ。

ジャズの歌手が即興で旋律を歌い上げるスキャットの様に、
楽器演奏者は、頭に浮かんだ旋律を楽器で弾く。
歌手ほど上手くはないが、口に出して歌うこともできる。
と言うより、口で歌える旋律を弾いているのだ。
適当に出鱈目を弾いている訳ではない。

さて、冒頭で書いたフリージャズ。
これは、調性、コード進行、固定されたリズムからの解放を目指し、
より自由な即興演奏を追求する一面を持ったジャズだ。
「一面」と言うのは、フリージャズがアフリカ音楽やブルース、
ゴスペルなどへの回帰を目指している面もあるからだ。

で、「出鱈目」の話になるが、
フリージャズも決して出鱈目ではない。
制約が大幅に取り除かれただけで、
演奏者は歌える旋律を楽器で演奏している。

分かりやすく言うなら…。
あなたが出鱈目に何か旋律を歌ったとする。
でもその旋律はあなたの頭で生まれて喉から音として出たものだ。
フリージャズの演奏者は、それを喉ではなく楽器を通して行う。

例えばピアニストなら、適当に鍵盤を叩く「手優先」の行為ではなく、
頭に生まれた出鱈目な旋律を鍵盤に投影させると言う音楽的作業なのだ。

と考えると、頭に浮かんだものは制約からはずれたものなのだから、
「出鱈目」と言えるのかも知れない。
しかし出鱈目を正確に拾って楽器で表現するのだから、
結果としてその演奏は出鱈目ではないのです ( ̄∇ ̄)v

な~んか「賛成の反対なのだ」みたいになっちまったわい ( ̄皿 ̄)

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