惹かれ合っている少年ナムと少女ナグォンがいた。
その少年の父ヒジェは、サイコパスの猟奇的連続殺人犯。
父ヒジェが既に犯罪を重ねて来ている事を少年ナムは知らず、
自分を溺愛している厳格な父と感じながら成長して来た。
韓国MBC:http://www.imbc.com/broad/tv/drama/comeandhugme/
少女ナグォンの父は弁護士で、母は有名俳優。
養子縁組によって後から家族となった兄がいたり、
少年ナム側にも異母兄妹がいるなど、両家共に複雑な家庭環境ではあるが、
ここで俺が書きたい事にはあまり影響がないので、詳細は割愛する。
俺が書いているのは”이리와 안아줘”(ここに来て抱きしめて)という、
2018年に放送された韓国ドラマが俺に突き付けて来た問題だ。
ナムの父親は、ナグォンの両親を手前勝手な理由で惨殺した。
ナムは父親が犯した、それはそれは重過ぎる罪を背負って生きる事になる。
自分も猟奇的殺人犯である父の血を引いているという恐怖を抱きながら。
一方、被害者の遺族であるナグォンは、両親を殺した男ヒジェに憎しみは抱くが、
惹かれ合っていたその殺人犯の息子であるナムには、
憎しみどころか、同情と彼を救いたいという愛情を持つようにさえなる。
ナムは、自分が犯したわけではない罪の意識を抱えたまま、
絶対に父の様にはなるまいと、名前を変えて警察官になる。
両親を殺されたナグォンも名前を変えて、母親と同じ俳優の仕事につく。
生き直す上に於いて、名前を変える事は重い意味があったのだろう。
その二人がおぞましい事件から12年後に再会し、
結果的には結ばれる事になるのだが、
俺がこのドラマから見えてきたのものは、日本と朝鮮の歴史的関係だ。
原作者にその意図があったかどうかは知らない。
でも俺はそう感じてしまったのだから仕方がない。
少年ナムは敗戦後に日本が在るべき姿を表しているし、
ナムの父親ヒジェは、過去にアジア各地で蛮行の限りを尽くした日帝・皇軍だ。
少女ナグォンの両親は、日帝に殺された朝鮮、中国その他の国々の人達。
物語では、事件の12年後に再会したナムとナグォンが、再び愛し合うことになる。
何故か?
それは、ナムが自分の父親が犯した罪に向き合い続け、
苦しみ抜きながら自分の生き方を追求し続けて来たからであるし、
ナムがそう生きて来たことを、ナグォンが目の当たりにしたからである。
ナムが成長し、警察大学で就学中に、学内で父親の素性が知れてしまい、
成績は良かったものの、ほとんどの学生仲間からは疎外された。
卒業式の際には父の事件の犠牲者遺族達から卵を投げつけられ、罵られ、
しかし彼はそれを真正面から受け止め、父親の犯した罪を背負う形で心から謝罪し続けた。
「やったのは俺じゃない。俺は関係ない」とは一度も言わずに。
連続殺人犯の父ヒジェは死刑囚となって刑務所に入るが、
12年後、協力者の力を借りて、裁判所に搬送中に逃亡。
12年前に二親は殺したが、殺しきれなかったナグォンを捕らえる。
ドラマのこの辺りの流れは、完全に今の日本。
罪を犯した側が開き直ってしまい、被害者側に問題があったと言うヒジェ。
戦争に関わっていない世代以降生まれの日本人は、
確かにアジア各国や南方で直接蛮行に加わっていないだろう。
しかし日本が少年ナムの様に敗戦後成長して来なかったのだから、
その日本の社会機構に守られて暮らす俺は、ナムとして生きる必要があるのだ。
第一に先人が犯した加害の罪責を認める。
第二に、認めたならそれを二度と繰り返さぬためにはどうすればいいかを考える。
第三に、考えたのならばそれを俺自身の生き方に反映させる。
そうしてこそ初めて、被害者側の人達と心の交流を持つ機会が得られる。
群馬で行政による「強制連行犠牲者追悼碑撤去」と言う暴挙が行われた様に、
日本がいつまでもヒジェのままでいるのなら、
それではいけないと気づいた人々がナムになればいい。
そうしてこそ未来の扉が開ける。
そう強く感じさせてくれた作品だった。
※2024年2月4日 加筆・修正