受け継ぐ 紫石の硯

俺は看板職人の端くれだったこともあって、
「職人」の世界への関心は強い。
「職人」と言えば日本の伝統文化の一つみたいに考えられてるけど、
古くからあるものは。元を辿って行けば大陸や半島から人と共に入って来たものだ。

「硯」もその一つだろうね。
日本にはもともと文字が無かったのだから、
文字を書くために必要な硯は、漢字と同じ頃に伝わったのだろう。
日本より数百年早く中国から漢字が伝わっていた朝鮮半島では、
硯作り職人の歴史の深さは、日本の比ではないだろう。

2020年6月13日放送の「キム・ヨンチョルの洞内一周」。
ヨンチョルさんが忠清北道・丹陽で、紫石硯の職人親子に出会った。

紫の石
ヨンチョル氏、いつもの様に行き当たりばったりの散策。
するとどこからか「タンタンタン」と、何かを叩いてるような音が…。
音のする方を見ると、地面を叩いている人がいた。

近付いてみると、叩いているのは地面ではなく、赤っぽい色をした石。
「硯を作る為に、石を割っています」と話すのは、
硯職人の신재민 (sin-jemin)さん。

この石は잣석(ja-sök:紫石)と言って、
朝鮮時代から王や高官への進上品を作っていた石なのだそうだ。
ヨンチョルさん、早速工場に案内してもらう。


技が生み出す芸術品

かなり年季の入った建物だ。
「父の代から建物を維持しつつ作業をしています」とジェミンさん。
ジェミンさんは4代目。3代目のお父さんは、中で作業中との事。

3代目の신명식(sin-mzöngsik)さん。無形文化財として登録されている重鎮だ。
この日は梅の花が咲く古木を彫り込んだ硯の蓋を制作していた。
硬い石を画用紙にして、一服の絵を彫り出しているのだった。

そして完成した硯の蓋の彫刻。

芸術品である。5日ほどで完成に至るのだそうだ。

表面は柔らかいが中は固い紫石は、黒石の次に扱いにくい。
どれも50年の技の積み重ねが生み出した作品だ。


受け継がれる仕事

ところで、ミョンシクさんが3代目と言う事は、
ミョンシクさんのお爺さんの代から仕事を受け継いでいる事に成る。

祖父は朝鮮時代の末期、父は日帝強占期(日本植民地時代)に仕事をしていました。
父は故郷で硯を作っていましたが、
日本人達が父を含む硯職人4人をここへ連れて来て、硯を作れと命じました。
戦場へ出される代わりに、硯職人として連れて来られたのです。

「日帝強占期に丹陽で硯を作っていた」という父の言葉。
その一言を聞いて、1972年に思い切ってここに来たと言うミョンシクさん。
町中を探し回り、1年が過ぎてようやく紫石を見つけた。

石を選ぶのに最も重要なのは叩いて鳴る音だと言う。

澄んだ音が出るものがいいのです。石選びは最も重要です。
ここで間違いを犯すと、硯が出来ても使えないものになります。
石選びにも受け継がれた技が生きているのだ。


親子二代揃い踏み

選んだ石を息子のジェミンさんが成形して磨き、父の手元へ。

すり減りにくい紫石は、硯の素材としては最高なのだが、
これに複雑な彫刻を施すとなると、熟練の技術が必要となる。

墨を磨る面は、数千回に渡る彫り出し作業で作り上げていく。

今は機械作業が主流になったが、自分は受け継いだ方式で削るのだと言う。

肩で削り出す作業では、1日に2個までしか仕上がらないのだとか。

硯の面は、削り方が荒いと墨汁がドロドロになり、
綺麗に削り過ぎると墨が擦れないので、繊細な感覚が必要になる。
人の手だけがその繊細さを出せるのだ、とミョンシクさんは言う。

そしてミョンシクさんの50年の歳月は、また別の痕跡も残した。
彫刻を彫っていたミョンシくさんが辛そうにして手を止める。

私は腎臓透析患者なので血液の流れが悪く、
手に少し力を入れるだけで攣ってしまうのです。
と言いながら、左腕を出して見せてくれた。

痛々しい。観ているこちらの胸が苦しくなる。

心配して近付いてきたジェミンさんか、父に代わって石を彫り始めた。

50年間脇目も振らずに突っ走って来たミョンシクさんだが、
いつの間にか息子ジェミンさんの存在が大きくなっている。

自分の道を継いでくれる息子に感謝をしつつも、
伝統を守る事の重さを知る父は、息子の将来を心配し胸を痛めるのであった。


私がやらなければ無くなってしまうでしょう。
我が国の紫石硯が無くなる日は、そう遠くないと思います。
息子が20年続けて来てくれたのでありがたいのですが、
反面、無理やり継がせてしまったのではないかと思っています。


息子が将来平坦な道を歩むことを願う父の心。
四代続く硯作りには、その切ない父性がこめられています。
と言うヨンチョル氏の声で番組は締められていた。

父の苦労する姿を見て来たにも関わらず、その道を継ごうとする息子。
そこにはそれだけの「やりがい」や「生きがい」があるのだろう。
加えて、人権意識が日本よりも確実に高い韓国においては、
職人を大切にする社会的な環境も整っているのではないだろうか。

職人、特に伝統工芸などの職人は、
たとえ後継者がいたとしても、社会の支えが無ければ消えてしまう。
目先の仮の繁栄だけを目指し続け、少数者を蔑ろにして来た日本で、
職人が生き残るのは難しいだろう。

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