Pearl

生きていれば今日で81歳か。。。
さすがにもう歌ってはいないだろうな。
いや、生ギターを弾きながらBluesを歌ってるかも知れない。

彼女はロックボーカルの女王みたいに言われているけれど、
自分の歌の形を作る上で大きな影響を受けた音楽はブルースだった。
亡くなって随分分経ってから、
デビュー前に吹きこまれていた音源が海賊版で出たが、
中身はブルースのスタンダードばかり。

音程などに少々不安定な部分はあるにしても、
独特の息遣いや、心地よく歪む低音、艶やかで粘りのある高音など、
後の彼女の特徴となる部分はもう既に表われていた。
この私家録音の2年後にバンドを組むことになり、
無類のブルース・ロックボーカリストとしてスター街道を歩みだす。


始めて彼女の歌を聞いた時の衝撃。
NHK-TVで放送された「モンタレーポップフェス」でだった。
俺の中で”Ball and Chain
“が彼女そのものになってしまった瞬間だった。

しかしデビュー前からの麻薬使用癖から抜け出せず、
ヘロインの過剰摂取ににより1970年、27歳の若さで死去。
あだ名は”Pearl”だった。

集団内では目立ちすぎた個性故の孤立。
高校では容姿をからかわれ、酷い虐めにあっていたと言う。
その頃に心に負った深い傷。
その傷を癒してくれたのが、米国社会で日常的に差別に遭い、
心に傷を抱える人達の訴えであるBluesだった事は理解に難くない。

しかし「自由の国」と言いながら差別が蔓延する米国社会において、
彼女自身は被差別者であるアフロアメリカンとは対極の立場にいる。
加えて彼女が活躍していた時代はベトナム戦争の真っ最中であった。
そんな数々の社会的歪みを孕む米国で「売れていく」自分。
そこに耐えがたい違和感があり、彼女を薬へと向かわせたのではないか。

逆に考えれば、その違和感との格闘こそが彼女の歌になっていた気もするし、
どこに居ようと自分は自分として存在していたいと言う強い思いが、
Pearlとしての輝きの原動力であったようにも思われる。

この強烈過ぎるボーカリストの影響を受けた人は多い。
日本には「下北沢のジャニス」と呼ばれた歌い手がいた。

金子マリさんだ。
売れる歌手になる道を選ばなかった下北沢のジャニスは、
今も現役で歌ってくれている。
“Pearl”の魂は生きているのかも知れない。

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