ソウルの壁とベルリンの平和像

100回目を記念する「キム・ヨンチョルの洞内一周」2020年12月12日の放送。
都城を散策し、そこで出会った人達の紹介が終わり、
夕暮れのソウル都心に戻って来たヨンチョル氏が語り始める。

闇が降った都心で見慣れないひとつの壁に出会いました。
ご存知でしたか?
ソウルにベルリン広場がありました。

ドイツのベルリン市が、崩れたベルリンの壁の一部をソウルに寄贈し、建てたものです。

最後の分断国家である大韓民国の平和と統一を祈る意味が込められています。


ベルリンの壁を前にして、ふとこんな事を思います。
私たちもあの壁を越えて、
美しい舞台まで「洞内一周」出来る日が来ればどんなに良いだろうかと。

日帝の軍国主義、帝国主義に抗い、植民地支配から脱して独立するために、
ソ連や中国の共産主義と共闘して日帝と相対する人達と、
米国の協力を得ながら道を見出そうとする人々がいた。

1945年8月15日の日本敗戦・解放後は、
最終的に東西の大国の思惑に振り回されて、朝鮮半島の分断が決定してしまったのだが、
日本の植民地支配が無ければ…と考えると、その罪深さに胸が苦しくなる。

ところで、ソウル市にベルリンの壁を寄贈したドイツのベルリン市には、
日本では「少女像」と呼ばれている「平和の像」が設置されている。

韓国文化広報サービス』のサイトより

ここからは『日韓のモヤモヤと大学生のわたし』(大月書店)からの引用になる。

「平和の少女像」は、国際的には日韓関係の問題や「反日」の象徴などではなく、
女性の人権と戦時性暴力の問題だと認識されて連帯が示されているのです。
しかし日本政府はこうした動きに圧力を加え続けています。
~中略~
「平和の少女像」が日韓関係改善の「邪魔者」になっているのではありません。
むしろ日本が自国の加害の歴史を直視せずに、
「平和の少女像」を「反日」の象徴だとする姿勢こそが、
被害者の人権回復、真の日韓関係改善においても
「邪魔者」になっているのです。

日本はいつになったら一人前になれるのか。
朝鮮半島統一に積極的に協力したり、
加害の歴史に向き合い反省を踏まえて、
人権問題に取り組む世界の動きに連帯する時代が来るのだろうか。
残念ながら、逆行に拍車がかかる一方である。

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