1933年生まれの母は現在90歳。
一昨年末に認知症が出始め、介護度が上がり、
去年の春からは介護付きの老人ホームで暮らすようになった。
同じ年に母より9か月早く生まれているこの人は今も現役。
本日2024年2月1日に91歳の誕生日を迎えた後には九州での演奏旅行が控えており、
5月まではコンサートの予定が組まれている。
人生いろいろだ。
渡辺貞夫氏。
1933年2月1日、栃木県宇都宮市生まれ。
父親は琵琶を弾き歌を歌うプロの音楽家だった。
戦後、米国からドッと流入して来た文化の波を受けて、
ナベサダさんは少年期からジャズに魅了され、
やがてクラリネットを始める。
プロから少し手ほどきを受けただけで、街で小遣い稼ぎをしていたという。
お父さんから才能を受け継いでいたんだね。
高校を終えると上京し、アルトサックスを始める。
そしてその僅か3年後には、あの伝説のモカンボセッションに参加。
並みいる先輩たちに引けを取らない、いやむしろそれ以上の演奏を残す。
この時に共演した早世の奇才ピアニスト、守安祥太郎や、
後に世界的な音楽家となる秋吉敏子からは非常に多くを学んだと言う。
成長著しいナベサダさんであったが、ジャズはなにしろ食えない音楽。
仕事が少なく、金銭面ではかなり苦労したらしい。
彼と腕を競い合った先輩後輩の中には、
稼げない辛さから、音楽で身を建てる事を諦め家業を継ぐ道を選んだり、
企業に就職する人も多かったという。
生きていくためだもの、しゃーないよね。人生いろいろです。
1961年には1枚目のアルバム”Sadao Watanabe”を発表。
当時の日本では、最も早くビ・パップをものにした音楽家の一人であり、
チャーリー・パーカーの「歌い」を理解した演奏家となる。
更なる境地を目指したナベサダさんは渡米し、
ボストンのバークリー音楽大学に留学。
自分がやってきたことの正しさの確認と共に、
ボサノバなど幅広い音楽性を吸収し、多くの音楽家とも共演。
確固たる自信、技能、理論、音楽性を身に着けて3年後に帰国、
帰国後はヤマハポピュラー音楽学校の所長となり、
バークリーの教育課程を基に若手の育成に励みつつ、
自身のカルテットを結成して積極的に音楽活動を開始。
…とまぁ、この辺まででも既に日本のジャズ界に於いては獅子奮迅の活躍ぶり。
しかしナベサダさんの名がジャズファンのみならず広く知られるようになるのは、
1977年に発表された”California Shower”からだろう。
当時スイング・ジャーナルなどの雑誌でナベサダさんの事は知識としては知っていたが、
演奏自体はまだまともに聞いたことがなかった。
でもへそ曲がりな俺は、今のナベサダさんがどう出来上がったのかを知りたくて、
みんなが飛びついた”California Shower”には行かず、
1枚目の”Sadao Watanabe”を買ったのだった (*´罒`*)
いや~、衝撃的だったねぇ。聞いててゾクゾクした。
まだ日本にジャズの学校なんかが無かった時代に、
自分達でジャズを研究してここまで完成度の高いものを作れる才能。
そしてパーカーをしっかり消化しているナベサダさんのアルト。
パーカーファンなら絶対ににんまりしてしまう演奏だ。
次に買ったのは1965年発表の”Sadao Watanabe Plays”。
バークリーを卒業して帰国後に吹き込まれたもので、
モード・ジャズやボサノバも取り入れた、自信と風格に満ちた1枚。
迷いのない説得力のある音の力強さに圧倒される。
1969年発表の”Dedicated To Charlie Parker”はライヴの迫力たっぷり。
ナベサダさんが心酔するチャーリー・パーカーの14回忌の年に収録された。
パーカーが亡くなった年齢を2つ追い越したナベサダさん。
パーカーを追い続けていた若い頃の姿はもう無く、
彼の音楽性を受け継ぎ、消化しきった「ナベサダの音」があった。
圧巻は”I Can’t Get Started~Au Privave”。
過労気味で当日不調だった日野皓正をかばうようにソロで演奏を続けるナベサダさん。
特に”Au Privave”に入ってからの鬼気迫る演奏は秀逸。
あの守安祥太郎や秋吉敏子が若き日の渡辺貞夫に目をかけていたのは、
この将来性が見えていたからなのだろう。
アフリカとの出会いもまた、氏の音楽には大きな影響を与えた。
アフリカの音楽からだけではなく、
そこに生きる人達や、自然の営みから得たものも大きかった様だ。
氏の音楽に雄大さが増したのは、アフリカとの出会いがあったからだろう。
“California Shower”のアルバムでは、
当時流行りのレゲエのリズムにのせたタイトル曲その他
所謂「フュージョン」とジャンル分けされた曲で
大衆受けする演奏をしていたナベサダさんだが、
俺のへそ曲がりが幸いして、そこに至るまでの変遷を知る事が出来た。
それにしてもナベサダさん、濃厚な人生だなぁと思う。
そう言えば俺がナベサダさんのレコードを聴きまくっていたこの頃だったなぁ、
母が俺に「そんなに好きなら弟子にしてもらえば?」って言ったのは。
俺にそう言った事、もう母は覚えてないだろうな。
母にそう言われた俺はプロのギタリストにはならず、看板職人となり、
今は山間部で小さい畑をやりながら暮らしている。
人生いろいろだ。そして人生は短い。
ビートルズを聞き始めた頃は実感がわかなかった言葉。
“We Can Work It Out”の歌詞の一節。
“Life is very short and there’s no time”が響く年頃になった。
人は誰でも1日1時間1分…と、その日に近づいてる。
悔いなく濃く駆け抜けたいね。
あ、ギターは今も弾いています ( ̄∇ ̄)v