表現者の人生史

音楽好きな我が家の息子氏が数か月前から始めたのが、
その日が誕生日の音楽家の作品を朝から聞くと言う習慣。

何故命日ではなく誕生日なのか? と聞くと、
「命日だったらまだ聞けない人が沢山いるじゃない」との応え。
なるほど、そうだな。
聞きたいけど生きてるから聞けないってのはなんか変だもんね。

さて、では本日2月2日生まれはどんな音楽家が? と調べたら、
俺が好きな「ジャズの人」が二人。
Sonny StiitとStan Getzがそうだった。

せっかくだから二人についてアレコレ調べ始める。
表現者の作品をより深く味わう為には、その人の人生史も知っておきたい。

こんな時は掘り下げが浅い日本のではなく、英語版のwikiで。
すると今まで全く知らなかった事に出会う。

スタン・ゲッツの祖父母はウクライナのキエフに住むユダヤ人だったが、
ロシア帝国内でのポグロムから逃れるためにイギリスに移住する。
しばらく暮らしたのちにアメリカへと渡り、

スタンは1927年の2月2日にフィラデルフィアで生まれている。

そうか。彼はウクライナ系ユダヤ人の子孫だったのか。
若い頃に、同じくユダヤ系のベニー・グッドマンや、
ウディ・ハーマンの楽団で修業を積んだのも、
彼の出自が理由になっているのだろうか。

しかしアメリカにユダヤ人差別が無かったわけではないからなぁ。
スタンの深刻な麻薬常習癖やアルコール依存の根も、
もしかしたらそこにあったのかも知れない。

国を失い世界にちりぢりバラバラになったユダヤ人は各地で迫害に遭い、
一方で、建国を目指すシオニストのパレスチナ人排除と虐殺もあった。
それはイスラエル建国後からも、現在まで終わらない悪夢。
痛みを知るはずの側が痛みを強いる側になるという悲惨。
根の深い問題だ。

スタンの出自が彼の音楽性に影響を及ぼしていたかは分からないが、
彼の奏でるテナーは囁くようにやさしく、柔らかく、暖かい。
それは所謂「モダンジャズ」を演奏している時より、
その経歴の途中で傾倒したボサノバで、より発揮される。

1964年発表の”Getz/Gilberto“を聞けば、
他のジャズテナー奏者には無い独自性が分かるはず。

特に、Astrud Gilbertoの柔らかな歌に絡みつく様な「囁き」は絶品だ。
俺のバンド仲間は「エロい」の一言で評していた ( ̄∇ ̄)v

音楽家としては若い頃から天才性を発揮し、高い評価を受け続けてきたスタンだったが、
モルヒネ欲しさに武装強盗未遂で逮捕されたことなどもあり、
残念なことに私人としての評価は低い。
アルコール依存に悩まされ続けながらも演奏活動を続けたスタンであったが、
1991年に肝臓癌のために64歳で亡くなっている。

さて、もう一人の2月2日生まれはSonny Stiit。
こちらは1924年、マサチューセッツ州ボストンの生まれ。
しかし生まれてほどなく、ミシガン州サギノーへ養子に出されている。
これは今日まで全く知らなかった。

アルトを吹くとチャーリー・パーカーの物真似と言われるほど、
アドリブの旋律や間の取り方までそっくりな彼なのだが、
単なる真似だけではソニーの演奏は成り立たないだろう。
やはり彼自身の音楽性があってこそ、である。

それが証拠に、パーカーとは違うテナーを持った時には、
音質は優しく柔らかく、節回しにもソニーの独自性が現れる。
彼の父も母もプロの音楽家だったのだから、その血は確実に流れているのだ。
エロくはないが、これまた優しく温かい「歌い」のサックス奏者。

彼は生前、実に100枚以上のアルバムを録音している。
その中には「激似」と言われたチャーリー・パーカーに敬意を表した1枚や、
渋い歌声を聞かせてくれているものなどもある。

このソニーもまた当時の音楽家の常と言うか、麻薬常習者の一人であったが、
1950年代にヘロインを断つ。
ところがその代わりの大量の飲酒で仕事に影響が出始め、
やがて彼はどちらともきっぱり縁を切った。

最晩年、と言っても彼がまだ58歳の時、北海道ツアーがあると知った。
これはまたとない機会だ。絶対に観たい。
当時住んでいた函館に近い八雲のジャズ喫茶「嵯峨」での公演がある!!
それを知ってすぐに申し込みの電話をしたが、既に満席状態_| ̄|○

しかしその時のソニーは首にできた皮膚癌の末期状態での来日。
主治医からは日本行きは命取りになると言われていた。
結局初日の旭川では1曲演奏しただけで演奏不能となり、
札幌では患部に包帯を巻き車椅子での舞台挨拶のみであった。

その後はソニー抜きのトリオ演奏でのコンサートとなる。
たとえ予約が出来ていても彼の演奏は聞けなかったのだ。
ソニーは急遽帰国して、その3日後に旅立った。
自分の体力の限界まで舞台での演奏に懸けてたんだな。

ソニーとスタン。
どちらも個性的でいかした演奏家だった。
まだまだ現役で行ける年齢で逝ってしまったけれど、
あなた達の生きた証である音楽は、いつも俺の近くににありますよ。
今日はまたこれまでとは少し違う気持ちで聞かせてもらいますね ( ̄∇ ̄)v

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