脳腫瘍の後遺症で自由に動けなくなった親父が介護施設に入り、それまでの自宅での介護疲れで体力が無くなった様子のお袋が一人暮らしをするようになって3ケ月が経ったそんな頃、札幌で一人暮らしをしていた弟が急死。
6歳も年下でいくつになっても「可愛い弟」という感覚を持ち続けていた俺にとってももちろん頭が真っ白になるくらいショッキングな出来事だったが、前置胎盤の為に母子共に危険だと言われ、帝王切開で1500gという超未熟児で弟を産み、虚弱体質だった彼を育て上げ独り立ちさせたお袋の悲しみは如何ばかりか。
そんなお袋の悲しみを紛らわす為と、動きが鈍くなって思うようにできなくなった家事の手伝いも兼ねて函館の親の家に滞在するようになって2週間が経った。最初はこちらも色々と気を遣い、気を利かせて掃除したり、飯の支度をしたり、買い物に出たりとあれこれ動き回っていたが、滞在10日目くらいからかみさんが懸念していたことが露呈し始めた。
「あなたはお母さんとは性格が似ているから、ずっと一緒にいると衝突するよ、きっと(笑)」という彼女の言葉通り、お袋と家事のやり方その他でぶつかることが日を追って増えてきたのだ。
これではいけない。俺が来た意味がないじゃないか。気分転換にどこかへ出かけようか? あ、そうだ。友人から原発関係の学習会のお誘いがきていたな、そう言えば。あれは確か4月の7日の土曜日。場所は彼の住む厚沢部町だ。厚沢部といえば俄虫温泉があるじゃないか!!
うーん。しかし一泊旅行だったら疲れそうだ。何しろ今回は一人旅。免許のない俺は公共交通機関を利用しなければならない。短距離の移動は徒歩になる。一泊旅行だったらほとんどが移動時間になってしまいそうなのだ。
と言うことで2泊3日の旅行にすることに決めたのがなんと4月6日、金曜の早朝。つまり出発の日である。そこから狂ったように旅館を予約し、列車とバスの時間を調べ、鞄に荷物を詰め込み、朝飯をかっ喰らい、家を出たのが9時半。路線バスで函館駅へ向かい、函館駅から10時27分発の江差線に乗り、生まれて初めての「思い付き一人旅」がスタートしたのだった。
しかし若干の不安がよぎる。俺は元々綿密な計画を立て、しっかりと段取りを組んで旅に出る人間。1年に10回程度キャンプ旅行に出かけていた時代もそうであった。だがこの「計画魔」の俺の弱点が今回の「いきあたりばったり旅」に暗い影を落としているような、そんな気がしてきたのだ。
計画魔の弱点は、アクシデントに弱いこと。「待ち時間」に耐えられないこと。立てた計画通りに事が進行しないとパニックになり、「待ち時間」は無駄な時間に思えて、次から次とイベントが進行しないと落ち着かないのである。
いやいや、とは言っても52年の人生経験は無駄ではなかったはずだ。なんとかなるさ。と不安を振り払い、旅館での美味しい食事や温かい温泉に思いを馳せる。やがて列車は終点江差駅へ。到着は13時。さて、ここからは厚沢部行のバスに乗るために徒歩で移動だ。今朝の下調べで、バス会社にバス停名は聞いていたが、場所までは聞いていなかった。
【駅前商店会など無い江差駅】
江差駅前に一軒だけあった商店で「新地町バス停」の場所を聞いた。するとそのバス停は、なんと俺が20年ほど前に看板の工事で訪れた旧江差生協の近くだという。繁華街の中心だ。ってことは、駅からかなりの距離である。結果、旅の初日、最初の徒歩で所要した時間が15分(俺の場合、徒歩と言っても普通の人と比べたらかなり速足)。
ノートパソコンとか書籍が入ったそこそこ重量のあるショルダーバッグを背負っているから、「負荷有り」のウォーキングである。海風の冷たい江差であったが、うっすら汗ばんでしまった。
バス停を見つけ、まだ乗車時間まで2時間近くあるのでどこかで昼飯でも、と歩き出す。これが車での旅だったら、せっかく江差まで来たのだから、鰊蕎麦でも…と、あちこち探しに行くのだろう。が、なにせ徒歩である。時間はたっぷりとあるのだが、体力的余裕はたっぷりとはないので、近場で食堂を探すことにした。
少し歩くと店はすぐに見つかった。あっさりとした塩ラーメンをいただき、店を出たのが13時40分。バス時間までまだ1時間半以上もある。こういう時は喫茶店だ。食堂に向かう途中に小洒落た喫茶店があった。そこでゆっくりとコーヒーを飲みながら…、と入った店内は意外に暗く、段差に気づかずに「ガツッ!!」とつまずいて転びそうになってしまった。ドタドタと体勢を立て直しセーフ。店内の空気はシーーーン。
そりゃそうだ。強面・ひげ面・革ジャンの大男が転びそうになったんだもの、笑うに笑えないのだろう。うっかり笑っていちゃもんでもつけられたらかなわない、という雰囲気だ。カウンターの中のママさんはと言うと、なんとなく見なかったことにしているみたいで、洗い物に集中している風を装っている。
ま、カウンター席に座って、ママさんにバカ話でもしたら雰囲気は変わるだろう。ってことでまずコーヒーを注文。「どうぞ」とコーヒーが出てきて、さて何から話そうかと思案しているところに常連客が。
その客、つい最近まで内臓疾患で入院していたらしく、話題は病気のことばかり。しかしママさんも病気の話は好きらしく、二人で陰気臭く話し込んでいる。「内臓破裂」だの「点滴」だの「結石の痛みの酷さ」だの、とても入っていけない話題ばかりである。結局俺は黙~って週刊現代を読みながらコーヒーを2杯飲み、店を出た。
店内で話した言葉は「コーヒー下さい」「コーヒーもう一杯下さい」「トイレはどこですか」。まるで外国語講座のテキストである。そして長く退屈な待ち時間を経て15時15分過ぎにようやく厚沢部行のバスに乗り込む。初日の目的地は鶉温泉だ。
30分ほどバスに揺られ、「鶉温泉入口」バス停で降車。降りる際に運転士に尋ねると、「歩きだと10分位かな」という話。10分ならさっきの江差駅からバス停までより近いじゃん。
よ~し、速足で歩いてちょっと汗ばんで、宿の温泉で汗を流す。これだな♪と、歩き出す。ところが行けども行けどもそれらしき建物は見えてこず、人家も消え、道はクマが出そうな山道に。こっちで良かったのか? もしかしたら、さっきの分岐で右に行くのだったろうか? などと不安になっていたら、目の前に「農村活性センター」の看板が!!
そうだ。鶉温泉は元々農村活性化の一環として作られたものだった。ってことは道は合っている。で、結局ここでも15分(やはり速足で)歩いて、這う這うの体で鶉温泉へ到着。4月なのに粉雪が舞う寒い夕方、宿のフロントの前に立つ俺は汗だくなのであった。