深名線 我が家の裏が廃駅跡

消えゆく蒸気機関車を写真にとどめておこうと、
機関区があった五稜郭駅に通っていたのは、今から45年以上前のこと。
その当時中一だった俺には、懐古趣味的な心があったんだろうな。
そんな俺の息子氏が、廃線ファンになったのは偶然ではないんだろう、きっと。

かつて深名線と言う鉄道路線があった
生まれ育った函館の街から、自然豊かな住処を求めてたどり着いた場所。
そこが、なんと廃線になった深名線の駅前にあった家だったのだ。
偶然のそんないきさつから、息子氏は突然深名線が気になり出し、
個人的に調査を始めたのが、今から15年程前かな。


深名線は、始めは軽便鉄道として人と物の運搬の為に敷かれたのだが、
やがて沿線のダム工事、それに伴う森林の伐採で出た木材の運搬に使われるようになった。
沿線に人口が増えると、深川~名寄間の旭川回り路線と2本立ての、
豪雪・極寒の朱鞠内回り路線として活躍。

しかぁ~し!!
地元出身の政治家が、手柄欲しさに先読みなんかせずに
めったやたらと鉄道を誘致した、道内の他地域の路線と同様に、
やがて道路網が敷かれだし、産業構造の変化で沿線住民が減るなどして、
深名線も大赤字路線となっていった訳よ。
で、1995年9月4日をもって廃止。

でもねぇ、そうなっても、色んな人達の尽力で
今も遺っている物達が沢山あるんだ。

形を変えて遺ってる物
ここは、深名線と、未成線となった名寄と羽幌を結ぶ名羽線か交差するはずだった朱鞠内。

駅跡には、駅名標と、この写真では雪の下になってるけど線路を合わせた記念碑になっている。
今はバスの待合所になっている時計台風建物の前の道路が路盤跡。
にしてもですよ。
毎冬2~3mの積雪になり、マイナス30度以下になる場所に、
よく鉄道を敷いたもんだなぁと、当時の鉄道員さん達の苦労を思うと辛いわ。
国鉄側に搾取されていた事は確実だからね。

さて、これは政和駅だった建物だ。
新規就農の家族の家屋として使われたり、食堂になったりしたけど、
今は壁の部分がシャッターになってしまって、倉庫として使われている模様。

食堂だった時の、駅の裏側はこんな感じ。

我が家がこの街に移住した時に、それを歓迎してくれた人達が、
ここで大宴会をやってくれたのだった(TT)

深名線の起点・深川駅から、円山→上多度志→多度志→宇摩と進んで、
次の駅となっていていたのが、このかろうじて文字が読める幌成駅。

元々の駅があった場所からは数十メートル移動されて、
今は工場の事務所として使われている様だ。

朽ち果てかけてる印象の駅舎がある一方で、現役の駅舎は元気だなぁ。

深名線の終点だった名寄駅は、屋根の塗装やその他リフォームが終わって、
1927年の建設当時の姿が復活~(^^♪

有志の尽力で遺されている物達
形は変わっている物の、当時の名残を感じさせるものがある一方で、
鉄道ファンや町民の力で、現役当時の姿をとどめている遺構もある。
その代表的なものはこれだろうか。

政和駅の近くにあるポンコタンの鉄橋だ。

「ポンコタン」は、アイヌ語で「小さな村」と言う意味だが、
幌加内町には、ポロカムイコタンと言う場所があって、そこは雨竜川の激流地点だった処。
「カムイコタン」というのは、単に「神の村」と言う意味だけではなく、
「人智が及ばないところ」という意味もあったそうだから、
このポンコタンは、ポロカムイコタンほどではないけれど、激流の場所だったのだろう。
上流にダムが出来て水量が減った今でも、ここはいつもしぶきが上がっている場所だ。

閑話休題。

これは、前出の幌成駅の次の下幌成の次の駅、鷹泊駅。
くたびれてはいるものの、建物が建物として残っていた。

駅裏にはホームの雰囲気もある。

雪が融けたところには、ポツポツとフキノトウが芽生えている。
人が捨てた場所かどうかなんか、彼らはカンケーない。
生きたいところで生きる。
見習いたい。

隣りの沼牛駅は、今もイベントなんかで使われている、人の手がかけられている駅舎だ。

ホーム側もこの通り。
鉄道ファンの手によって復活した腕木式信号機が凛々しいんでないかい( ̄∇ ̄)v

駅舎の中も、こんな風に整備されていたよ。
こうしてしまう懐古主義、懐古趣味のエネルギーには驚かざるを得ない。

これは、政和駅の次の新富駅近くにある集荷所の建物。
集荷所としての仕事を終えた後は、町民W氏の別荘として機能していた。
これは俺の町民ならではの情報だ( ̄皿 ̄)

移住記念にと、W氏から頂いた天然ものの舞茸は絶品だったなぁ~♪

現役っぽくてビックリするよ~
新富の隣りが、この添牛内駅なんだけど、
町民の倉庫として使われたり、色々紆余曲折があって、今この状態。
2017年には駅名看板が復活。
そして、なんとなんと、2021年には、駅舎の復活工事が予定されているとか(*_*)

ここ、ウチから近いんで、復活後の様子はまたアップするね( ̄∇ ̄)v

最後に紹介するのが、天塩弥生駅。
ここは、鉄道ファンのご夫妻が、当時駅があった場所に、
なななななんと昔の北海道の駅舎っぽい姿で、建物を復活させてしまったのだ。

今は民宿として営業していて、昼間の時間帯はレストランとしても利用できるんだって。
ここはねぇ、買い物に行く道すがら、建設されていく流れを見てたんだよね。
畑の真ん中に、何を作ってるんだろう?って。
そしたら、天塩弥生駅が復活したのでした\(^o^)/

自分にもあるノスタルジーって感覚はよく分からない代物なんだけどさ、
でも、使わなくなったから壊して捨てるってのは、どうかなと思う。
壊して捨てる前に、「なんで今までこう在ったか」を考えたい。
そうした方が、前に進める気がするから。

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