初体験・ぶらりローカル列車と路線バスの旅・その3

バス時間までの長い長~い1時間半を乗り切り、宿を出てバス停へと歩き出す。
不思議なもので、行ったことのない宿へ向かう時と違い、
バス停の場所がわかっている安心感からか足は軽やか…
ではあるが、かかる時間は同じで、午前中からそこそこいい運動をさせてもらった。

バスは15分ほどで厚沢部に着き、俺はまず今晩の勉強会の会場である山村開発センターの場所を確認することにした。それは役場の隣にあるという。役場と言えば、確か俄虫温泉に行く途中に官庁街みたいなのがあって、そこに建ってたなぁという記憶がある。

そう。30年近く前の結婚間もないころ…
かみさんの運転で初めての遠出をして、途中で俄虫温泉に立ち寄ったことがあったのだ。そうだそうだ。思い出した。国道からちょっと入ると役場があって、そのちょっと先に俄虫温泉があったのだ。そして思った通り、国道から5~6分歩くと役場があった。

この辺りで昼飯でもと思ったが、食堂らしい店が見当たらないので、一旦国道に戻り、道路沿いの食堂で味噌ラーメンを頂く。そこで店主さんに俄虫温泉まで徒歩何分か聞くと
「とっ、徒歩ですか?!! 車だと5分位だけど、徒歩だと20分くらいかなぁ…」との事。

またまた~、そんなにかからないでしょう。だって役場まで5~6分だったもの。旅館はそのちょっと先なんだから、せいぜい10分くらいなんじゃないの? と思ったが口には出さず、「20分ね。じゃ、頑張って歩きま~す」とおどけて店を出た。さっき歩いた道を再び歩く。

役場を過ぎ、住宅街を越え、気が付くと人家はポツポツ。あとは畑ばかりの景色。畑には渡りの白鳥の群れ。それを携帯で撮影し、かみさんにメールする元気がまだあった。この頃までは。

なかなか宿の看板が出てこないなぁと思いながら歩き続けていると、向かいから少年が歩いてきた。「こんにちは。あの、俄虫温泉はまだかなぁ?」と聞いたみた。少年は答えた。「あ、こんにちは。俄虫温泉はこのずっとずっと先です」

そんなにずっとずっと先じゃあねぇだろと思いながら歩いたが、ホントにずっとずっと先であった。行けども行けどもそれらしい建物はなく、案内の看板も見当たらない。なるほど。考えてみれば、以前に来たときは車だったのだから、役場からすぐだったという記憶は車に乗ってでのものなのであった。

この様子じゃ、食堂の店主が行っていた「20分くらい」と言うのも、俺の歩く気持ちを削がないための方便だったのかも知れない。それが証拠に、歩き始めてからすでに20分が経過しようとしているのだ。

そして更に歩き続けていると、今度は自転車に乗ったお爺ちゃんがやって来た。お爺ちゃんは「あともう少し行けば左に看板があるから、そこを入って。あともう少しだから」と励まし口調で教えてくれた。「ありがとうございます」と再び歩き始めると、やがて黄色地に赤文字で「俄虫温泉まで500m」の看板が目に飛び込んできた。やった!! あとたったの500mだ!!ほとんど軽登山をしている感覚になってきた。あと500m…

ところが、もう500m以上は歩いたはずなのに宿が見えてこない。もしかしたら、さっきの案内看板のところを左折するのだったろうか? 振り返って後方の景色を見ても、温泉旅館らしき建物は見えない。いや、間違いない。この道でいいはずだ。ただ距離表示がいい加減なだけなのだ。もう少しだ。もう少し。

そして歩き続けていた俺は、一つの集落に入った。もしかしたら、ここが俄虫の集落か? おーっ、100m程先に、看板が立っている。遠くてハッキリ見えないけれど、「俄虫温泉旅館」て書いてあるんじゃないか?

どんどん近づく。やはり「俄虫温泉旅館」の看板だ。左折し、更に100m程歩くと、ついに俄虫温泉旅館玄関前に到着。所要30分。汗だくである。到着は13時25分。チェックインは本来15時なのだが、汗だくで歩いてきた俺を見て気の毒に思ったのが「早いけどいいですよ。どうぞ」と若女将。ありがたや~。

部屋に入るなり、汗まみれのTシャツを脱ぎ捨て、浴衣に着替え、速攻温泉へ。ゆったりとお湯につかり、部屋へ戻ろうとした俺の目に入ってきたもの。それはさっきたどり着いた時には歩き疲れて全く見えていなかったのだが、フロントの横に設えられた「韓国食品コーナー」であった。

まさか厚沢部の俄虫温泉で韓国食品に出会えるとは、夢にも思わなかったよ。いやいや、俺の目に馴染みの深い商品があれこれ並んでいるじゃないの。辛ラーメン、安城湯麺、かっぱえびせん、なんとオー・カムジャというチーズ味のポテトフライ菓子まである。ビールを買いオー・カムジャをつまみに部屋で一杯。夜は勉強会があるので、ビールは一本だけ。勉強会が7時スタートなので夕食は5時半から。

広間で食べるのかなと思いきや、夕食は部屋食とのこと。お膳に乗せられた料理の数々。

◆左上から「イカ団子と野菜の鍋」「鶏モモ肉の和風ソテー」「天ぷら盛り合せ」。中央は焼き物。
「タラ醤油漬け焼き」と「ホタテの貝焼き」。そして「刺身盛り合せ」。
更に「沢庵」「菜の花の胡麻和え」「茶わん蒸し」。ご飯は丼一杯分程度。

昨夜と同様、大量である。食べきれるだろうか。
こんな時は、ご飯はあまり食べず、おかず中心で攻めることにする。
更にベクレ不安のあるものはもちろん残し、それでも食い終わったころには腹がパンパン。

ちょっと食い過ぎの感はあるが、今日も長距離を歩いたからまあいいか。でもって、これから勉強会に行く往復も歩くんだし…。いや、待てよ。これから片道25分もまた歩くか? 国道近くに「俄虫タクシー」っていう会社があったから、そこからタクシーを呼んで、せめて行きだけでも楽させてもらおうか、などとたたんであった布団を枕にうだうだ考えていたら…

部屋にはかみさんと俺。するとかみさんが前方を指さして「ぎゃっ、ちょっと嫌だ!」と叫んで部屋を飛び出して行った。かみさんが指さした方向を見ると、なんとそこには猛毒を持つヤマカガシが!! 俺は後ずさりしながら、時々「シャッ」と飛び掛かってくるヤマカガシの頭を、履いている長靴で必死になって蹴り、そうしながら、近くにあるスコップを手にして、それでたたき殺そうとようともがいていた。するとついに怒りに燃えたヤマカガシの、大きく開いた口が俺の太腿のあたりに!!…。

「やめろっ!! ダァーーーッ!!」と言う自分の大声で目が覚めた。そう。歩くかタクシーか考えているうちに、昼間の歩きの疲れが出たのか、ドッと寝入ってしまったのだ。あわてて時計を見る。20時45分…。ショック…。気分転換の旅行ではあったが、厚沢部で原発関係の勉強会があるというから場所設定を厚沢部中心にしたのに、なんということだ。

あ~、もうどうしようもないわ。明日は8時19分のバスを逃すと昼までバスがないから、このまま早く寝よう。ショックで厚沢部の友人にメールする気力も無くなり、俺はそそくさと布団に入り…。

そうしたらなんか騒がしい。どうやら下の大広間で宴会が繰り広げられているらしい。さっきまでは爆睡していたのと、寝過ごしのショックで気が付かなかったが、なかなかの大人数らしく、マイクなんかも使い出してうるさい。何しろ俺の部屋の真下が宴会場である。全然寝られない。それでもやはり歩き疲れと、慣れない一人旅での緊張感からの疲労で、いつのまにかウトウトと。

しかし夜中の一時過ぎに再び目が覚めた。想像するに、宴会で酔っ払って、車で帰られなくなった連中が急きょ泊まることにしたようなのである。そいつらがしゃべる声がデカく、ワンワンと響いているのだ。寝られない。眠りにつけたのは、そいつらが喋り疲れて眠りに落ちた後。3時過ぎのことであったと思う。

最後に寝たのは3時過ぎでも、その前にも寝てるから問題ない。俺は5時過ぎに起きて朝風呂を浴びに行った。酔っ払い連中は俺の予想通りきれいなウォシュレットの便座や、なんと蓋の裏っかわまでも糞まみれにし、この時間でも当然爆睡中。温泉は俺一人。のんびりと朝風呂につかる。

にしても4つあるトイレの便器が全部汚れているとは。いったいどこで用を足せばいいのか。と、脱衣室で浴衣を着ながら考えていた俺の目に「トイレ」の札が。あっ、そっか。この脱衣場のトイレなら、宴会場から離れているから無事かもしれない。覗いてみると、予想通り綺麗なままであった。

昨夜とは打って変わって程よい量の朝食を頂き、きれいなトイレで用を足し、チェックアウトを済ませ、厚沢部バス停まで30分のウォーキング…。ではないのであった。

◆おっさんはこの位がちょうどいい量。
納豆、味のり、焼き鮭、タラコ、レタスに目玉焼き、ミニキュウリの浅漬け、人参と油揚げと蕗の金平。
ご飯とみそ汁はお代わり自由。食後のコーヒー付。

実は昨夜、夕食が部屋に運ばれた際に、「明日の朝食、バス時間の関係で6時半からにしてもらえないか」と頼んだのだが、「朝食は7時からで、これは変更できないのです。バスだったら、大丈夫。バス停までお送りしますよ」と言われていたのである。それまではバス停まで歩く気満々であったのだが、その一言を聞いた途端、歩く気持ちは完全に吹っ飛んでいた。

と言うわけで、宿のご主人に送っていただきバス停へ。食堂の大将が言っていた「車だと所要5分」というのは嘘ではなかった。

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