稚内駅からほど近い場所に、副港市場ってのがあって、
出来たのは2007年だって言うから、以前に来た時にはもうあったはずなのだが、
おそらく観光客相手の函館朝市みたいなもんだろうと想像して入らなかったんだな。
ちょっと調べてみたら、最初は2007年に「海の駅」として開業。
古い稚内の街並みを再現した店内には天然温泉や飲食店が入っていたのだが、
経営不振が重なってしまって、店は撤退し、2020年の3月に閉店。
2021年4月に副港市場として再開したと言うんだから、
再開したてのところに行ってきたわけだ( ̄皿 ̄)
建物には切り文字看板が付いてるけど、この天然温泉は、この時も休業中だった。
2階には樺太記念館なんてものもあって、ちょっと楽しみだ。
副港市場と樺太記念館はサラッとねっ♪
まずは市場から見てみますか…と、入ってみたものの、
やっぱどこにでもあるお土産品や、高級な海産物が並んでいるだけだったので、
早々に撤収して樺太記念館へ。
樺太と日本、稚内の関係を解説した資料や、日本領だった時代の記録などが展示されていた。
俺が「おっ!!」と惹かれたのは、このジオラマ。
防波堤ドームってのは、最近できたものだと思っていたら、
なんと1936年の竣工だったんだなぁ~、ビックリ(*_*)
その翌年には稚内駅からの線路延伸工事が始まって、この「稚内桟橋駅」は1938年に完成。
10年以上前に2度ほど、「うま宗谷グルメ祭り」ってのに行って、
発泡のケースいっぱい帆立を仕入れて、防波堤ドームの下でBBQして来たんだけど、
その時は、この防波堤ドームがそんな古いものだとは思っていなかったよ。
85年も前に、こんな堅牢で凝ったデザインの建造物を作ってたんだなぁ。
樺太記念館は見どころタップリではあったんだけど、
俺が盛り上がったのは、1階の「稚内市港ギャラリー」の方。
郷愁を誘う展示の数々が…
展示は、
「樺太ノスタルジー」
「港ノスタルジー」
「稚内ノスタルジー」
の3テーマにテーマ分けされていて、まずは樺太ノスタルジーから。
樺太の豊原市にあった中学校の門と、教室をイメージした展示。
壁には日本領だった時代の樺太の街の様子、歴史や産業などに関するパネルが並ぶ。
樺太が島だって事を確認した探検家の間宮さんのパネルもあった。
樺太の鉄道は、敗戦後にソ連が接収し、1520mmの広軌に全面改軌し使われている。
ギャラリーのロビーの作りが昔の稚内港駅を模していて、
それが港町ノスタルジーの展示にもなっていたという事は、帰宅してから知った( ̄皿 ̄)
これは稚内港駅を港側から見たジオラマ。
函館で生まれ育っているので、こういう風景は非常に懐かしいのであった。
駅の内部を再現したブースがあった。
これは、稚内と樺太の大泊を結ぶ稚泊連絡船の乗船口。
市内にあった業者の広告板なんかも掲げられていて、なかなか凝った作りたわ( ̄∇ ̄)v
うひゃっ、蘇る1960年代!!
俺が一番コーフンしたのは、稚内ノスタルジー。
これ、稚内に限らず、’60年代の道内の街は、どこもこんな風だったと思うなぁ。
北の誉とかボンカレーなどなどのホーロー看板が懐かしい街並み。
円筒形のポストに赤電話。もうタイムスリップ感満載!!
煙草屋さんのショーウインドウには、ちゃんと煙草が並べられていた。
俺はちっちゃい頃、親父のお使いで「いこい」を買いに行ってたなぁ。
その後グレードが上がってハイライトになった。給料が上がったんだべな( ̄皿 ̄)
50年前当時で70円だったな、確か。今は500円以上してるもんね。
500円も払って体に毒を注入するなんて、アホらしくて俺ぁ出来ません。
薬局の玄関前にあった登り。チョーさんだ♪
長嶋さんがビオタミンで…
王さんは、「ファイトで行こう!!」のキャッチフレーズ、リポビタンDだ。
この看板、手が動くんだよね(^^♪
貸本店なんて、知ってる人は少なくなったべなぁ。
貸本店用に書かれた貸本漫画なんてくくりもあったんだからねぇ。
2泊3日で20円とか、そんなんで単行本を借りて来て読んでたんだよ~。
水木しげるさんを始めとした、昔の作家は、みんな貸本漫画家から始まってるし、
俺が好きなのは、後になってまた静かなブームが生まれたつげ義春さんだなぁ。
丸椅子の町の食堂ね。学生ラーメンが50円だった。ハムが入ってたよ。
昔は大型店なんか無くて、個人が自分で培った技能なんかを生かして店をやっていた。
家の中のちょっとした電化製品の困りごとを解決してくれたのは、町の電器屋さん。
俺がちっちゃい頃からずっと、親父は修理も買い物も加野井さんて電器屋さんにお願いしていた。
俺もそれを受け継いで、大型店が出来てからも加野井さんから買い物してた。
我が家にあるCDプレーヤーは、加野井さんから買ったものだ。今も健在だ( ̄∇ ̄)v
電器屋さんのショーウインドウ。
手回しでローラーで脱水する洗濯機に白黒テレビ。
録音するとなったら、デカいオープンリールのテープレコーダーだったもんね。
テープレコーダーや8ミリカメラを持ってるのはお金持ちの家だけ( ̄皿 ̄)
俺んちはカラーテレビに変わったのが1973年だったぞ、確か。
それも亡くなった叔母の形見として貰ったものだった。14型のやつ( ̄ー ̄)
な~んて、50年も前の事を色々思い出させてくれた展示の数々でしたなぁ。
今はさぁ、どこの街に行っても中央資本の大型チェーン店が我が物顔で建ってて、
街に個性ってもんが無くなってしまったけど、
昔は街どころか、一軒一軒個性の塊みたいな店が並んでいたんだよね。
ところで、ふと思ったんだけどさ、この展示は、もしかしてずっとこのままなんだべか?
やっぱ半年に一回でもいいから入れ替えして欲しいなぁ。
せっかくいい企画なのに、やりっぱなしだと飽きられちゃうもの。
是非、定期的な入れ替えをお願いします!! (-人-)